Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.


 オバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました…

 
 表現は変われど、今年の平和宣言でも「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みの表現がありました。 核兵器含めクラスター爆弾など「非人道的兵器」は根絶しようという動きがあります。 対義としての「人道的兵器」という分類分けで許されてるモノも、同じく「死」をもたらす兵器であり、至極主観的で適当な概念が罷り通っていると憤りを感じます。
 
今朝、某巨大掲示板スレタイで「【祝】原爆大量死記念日【くっせえケロイド】」ってのが上がってました。 悪ノリで、叩かれることを前提で立てたスレと思われますし(案の定叩かれレスばかりでした)、真意では無く言葉遊びの延長での表現とは言え、やはり暴力的に悲しいモノがありましたね。
 
追記:8/7)
本当は当日に書こうか非常に迷ったのですが…。  何だか、今年の平和宣言には正直なところガッカリした。 「オバマジョリティー」とか「Yes We Can!」の引用の部分。 以下個人的な主観で書きますが、平和宣言は後世に継がれていく宣言であって、その年どしの状勢に合わせて核廃絶や平和を願う気持ちをうたうものだけど、何て言うかダジャレにも聞こえる流行り言葉を使ったことで、平和宣言が汚された気分でならかったです。 あと、核廃絶の輪を広げる運動の呼びかけを、常に広島/長崎がリードして行っていくという本来の流れから、どっかの大きな流れに便乗して声高に…って感じになって来てるような気がしたよ。 むーん、考え過ぎかな?